15年間に渡り、ほぼ毎日寝起きを共にしました。直接言葉を交わし合う事は当然ありませんでしたが、言葉を超越した意思疎通はできていたような気がしてます。勿論、自分が話す単語の意味は幾つも理解してくれていたし、彼の表情や動作、声の発し方等でマロンの気持ちもある程度理解していたつもりです。マロンがどう思っていたかは知る由もありませんけど・・・。
この1年が長かったのか、短かったのかはよく判りませんが、マロンに逢いたい気持ちは益々募る一方です。
マロンの代わりはマロンしかいないので、この世で逢う事は先ずありません。京都市民時代の職場の仲間が「またマロンちゃんに逢えますよ。」と言ってくれました。
自分が亡くなった後の世界での事なのですが、どんな形であれマロンに逢える日が訪れるのであれば嬉しい事です。